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BaseBall Okinawa ~甲子園inside story 連覇を支えた「魔法の手」~ ロクト整形外科 理学療法士 小嶺 衛

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甲子園 inside story ~連覇を支えた「魔法の手」~

2010年8月17日 甲子園

第92回全国高校野球選手権大会3回戦の11日目。
この日は第1試合から白熱した熱戦が繰り広げられ、興南高校の登場する第4試合は予定よりも2時間以上も遅れて、午後5時41分の開始となった。

途中から照明に灯が入ってのナイトゲームとなり、興南が4‐1で宮城県代表の仙台育英高校に勝利し終了したのは午後7時58分。
ナインは勝利の余韻に浸る間もなく、翌日の2試合目となる福島代表・聖光学院との準々決勝に臨むこととなった。

「試合終了直後に私の頭の中にあったのは、宿舎に戻ってからの少ない時間で、どのような戦術で(島袋)洋奨の身体を元にもどすかという事だけでした」と、その時を振り返るのは同校野球部のトレーナーとして甲子園に帯同した理学療法士の小嶺衛氏。

勝利した喜びよりも、この日も9回を独りで投げ切ったエースの心配だけが彼の頭の中にはあった。

「はっきりと記憶はないのですが、宿舎についたのは9時を過ぎていたと思います。
すぐに軽めの夕食をとりミーティングを済ませ、就寝(消灯)時間は11時に変更(通常は10時半)になりました。洋奨が私の部屋に来たのは10時55分頃、消灯の時間まであと5分になっていました。」

睡眠による安静は疲労回復に不可欠な条件ではあるが、身体を正常な状態に戻さなければその効果も低い。ここからは時間との戦いでもあった。

「私は投球の中で、より疲労が溜まりやすい筋肉にターゲットを絞り、可能な限りスピーディーに集中して理学療法を施行しました。終了したのは11時45分頃です。45分の睡眠時間ロスとなってしまいましたが、その分は理学療法で補えると考えました。」

翌朝、通常ならチェックだけで済ますところを25分ほどの理学療法を再度施術。
「肩などの関節の状態は良好でした。洋奨も疲れはないということで、前日の午後7時57分から始まった私の仕事が終了した瞬間でした。」と、その時も見せたはずの同じ笑みを浮かべて話してくれた。

準々決勝の聖光学院。
心配された島袋洋奨も無難な立ち上がりをみせ、2回に3失点で先制を許したが、それ以降は完全に本来の投球をみせた。

8回を投げて被安打9の8奪三振、失点も2回の3点だけ、味方の援護もあり大勢の決まったところで2年の川満昴弥に後のマウンドを託した。

結果は10‐3で快勝。42年ぶり、我喜屋監督が選手時代の4強へ駒を進めた。

その後は、準決勝の報徳学園(兵庫県代表)に5点ビハインドの劣勢から6‐5と見事に逆転で勝利。決勝でも19安打の猛打で東海大相模(神奈川県代表)を粉砕、13‐1で史上6度目の春夏連覇を達成した。

思い起こせば春の選抜。連戦の興南に対し、1日空いての日大三高(東京代表)との決勝戦。
絶対不利の条件の中で、史上初となる連戦チームの優勝という快挙にも、やはりここにも小嶺氏の力があったはずだ。

春夏連覇の陰には、球児を蘇らせる「魔法の手」の存在があったのは疑う余地もないことである。

我喜屋監督、就任を機に

そんな小嶺氏が興南高校野球部をサポートするようになったのは、2007年からである。

「我喜屋先生が北海道から沖縄に戻られて興南高校の監督に就任すると聞き、直ぐに私の方からアプローチしました。我喜屋先生となら何かが出来ると思ったからです。興南高校の野球部を変えるお手伝いが出来たらという気持ちもありましたが、沖縄全体の野球への一助という気持ちが強かったのだと思いますね」

これを機に、小嶺氏の所属するロクト整形外科クリニックが興南野球部のケアをする事となった。
その僅か3ヶ月後には興南高校が27年振りの夏の甲子園大会出場を決め、小嶺氏の想いは着実に形となっていった。

翌年の3月には島袋洋奨(投手‐中央大)、我如古盛次(主将‐立教大)等、連覇の戦士達が入学して来た。

「僕らが出来る事は試合に出るまで。120%の状態で試合に臨めるようにする事ですよね。選手も初めは半信半疑だったと思いますし、僕らと選手との間にも多少の距離感もあったはずです。我慢する選手もいれば、直ぐに弱さを出す選手、積極的に取り入れようとする選手と、各々のキャラクターもあります。結局、こちらがそれを見抜くのが必要なのかもしれませんが、しかし身体の事は本人達が一番分かっていることです。それが結果として表れた時に距離は縮まりました。そこがポイントだったと思います。」

そして2010年に興南高校が春夏連覇。小嶺氏の熱い想いが結果となって現れた瞬間でもあった。

理学療法士の仕事とアスリートとの関わり

私たちが連想する理学療法士の仕事とは、一般的に言われるリハビリの事だろう。

事故や疾患等で身体的な障害を持つ人に、基本的な動作能力の回復を図るために運動療法や、電気、温熱、寒冷、光線、水、マッサージなどの物理的療法など、対象も健常でない人が中心と認識していたが、最近ではより高い運動能力を求められる分野、いわゆるアスリートの分野も理学療法士の仕事の領域という事である。

「リハビリはリハビリテーションの略です。英語でrehabilitationと書き、語源となったラテン語ではre(再び)+habilis(適した)、すなわち「再び適した状態になること」「本来あるべき状態への回復」などの意味を持っています。最近では運動機能低下が予想される高齢者のための予防対策、メタボリックシンドロームの予防、スポーツ分野でのパフォーマンス向上など、障害を持つ人に限らず健康な人々にも広がりつつあります。」

沖縄県理学療法士協会が公的なかたちでアスリートたちをサポートしている事例が2つある。
そのひとつが県の高校野球大会。
この取り組みは理学療法士協会のスポーツ事業部という専門部によって運営され、沖縄尚学高校が甲子園で初優勝した1999年から、春季大会、夏の選手権大会、秋季大会のサポートをしてきた。

大会中、各球場の本部にそれぞれ2名以上の理学療法士を常駐させ、ゲーム中のアクシデントへの対応や応急処置、試合前のテーピングの相談や試合後のストレッチ、クールダウンなどの指導を行っている。

それと2010年の美ら島高校総体へのサポートである。
開催の10年以上前から構想を練り、2006年に沖縄インターハイサポートチームを立ち上げて、沖縄県体育協会スポーツ医科学委員会から依頼を受けるかたちで、この年の2月から県内高校の部活動より要請のあった6校5競技(首里高校、知念高校のなぎなた部、那覇西高校男子サッカー部、南部工業ウエイトリフティング部、西原高校バレー部)の指導にあたった。

結果、各チームとも優秀な成績を残し大会後もその指導は継続されている。

また、特別なものでは、今年も開催されたAAA世界野球選手権大会のサポート。
甲子園に出場した沖縄尚学を除く沖縄県選抜チームが日本代表として臨んだ1999年の第18回大会に日本アマチュア野球連盟、日本高校野球連盟の要請で小嶺氏がトレーナーとして帯同、派遣された。

「代表監督は興南高校の神谷健先生で、コーチに盛根先生(現福岡第一高校監督)と嘉陽先生(現コザ高校部長)、選手には現在オリックスで活躍する比嘉基樹君(コザ)や沖縄電力からヤクルトスワローズに進んだ松谷秀行君(興南)がいましたね。結果は韓国と並び5位でしたから、今年(6位)よりも好結果を残したんじゃないでしょうか。」

自分たちでも出来る怪我の予防

理学療法士は特別な専門職である。
しかし、小嶺氏のような専門的な理学療法士を置かないチームでも、怪我の予防や運動パフォーマンスの向上のために自分達でも何らかの事は出来ないのだろうか?と率直な疑問が湧いてきた。

「自分達で出来ることとして講習会等でも紹介している簡単なものをあげてみましょう。一番大切なことは意識づけです。行う意味をよく理解して実践することがのぞまれますね」

一番大事なことはストレッチ

怪我をする原因は沢山ありますが、多いのは身体の硬さからくるものです。
柔軟性が欠如していると怪我をしやすくなります。
例えば、投球動作で下半身が硬いと、投球動作の時に下半身の捻り動作や腰の捻り動作などの、動く幅・可動域が狭くなります。
その動かない部分を他の動きで補わないといけなくなるわけですから、他のところに負担が掛かって来るわけです。
それを繰り返していると微力なストレスが溜まり痛くなってくる。
それが故障になるという事です。

それを防ぐためにも十分なストレッチが必要になってきます。
大事なのは、その競技に必要な可動性を付ける事。
それが怪我を予防する為の重要な一つです。

体幹を鍛える

ある動きをした時に、その動作が安定していなければ怪我になりやすいでしょう。
それを防ぐには、身体がぶれないようにする事が大事です。
その為に体幹、身体の軸を鍛えることが大切になってきます。
プロスポーツで取り入れているコアトレーニング、インナーマッスル(深層筋肉)のトレーニングも効果的です。
決して難しいものではないですから絶対にやるべきです。

みんなで出来ること

練習前後のアップとクールダウンは絶対に欠かせないものです。
これは協会でも指導を行っていますので、気軽に声をかけていただきたいですね。

不幸な事例を無くすために

いくら予防を行っていても、やはり球児をはじめアスリートに怪我は付き物である。
高校野球という特殊な環境の中、怪我を隠し野球人生をここで終わらせたという不幸な事例も多くある。

甲子園が神格化された時代に、夏の大会を独りで投げ抜いた投手が、聖地「甲子園」で投手生命に終止符を打った。
この不幸な出来事から高野連では、この悲劇を二度と招かない為に大会前に投手のメディカルチェックを実施するようになった。
もちろん肘や肩に障害のある投手は登板することはできない。

幼い頃から甲子園を目標に野球に打ち込んできた球児たち。
それを見守る現場の指導者からは「出来る事なら、子供たちの夢を叶えてあげたい」とのジレンマの声も聞こえてくる。

理学療法士も指導者たちと同じく「少しでも球児たちの夢を叶えてあげたい」という気持ちは一緒である。
しかし、越えてはいけない垣根がそこにはあるのだという。

「我喜屋監督の言葉に『人生のスコアボードは9回では終わらない』という言葉があります。それは、そこまでのプロセスが大切であり、それがいつの日か人生で報われるという事です。
私たちの仕事は120%の形で選手を試合に臨めるようにする事です。そこには試合後に障害などが残らないということが前提にあります。私たちも常に選手の未来を見て仕事をしているのです。」

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